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優しいペットの攻撃の誇示行動の態度はきわめて表情豊かであり、それか向けられる相手に応じて表現はまったく異なる。
優しいペットの生活に深く「立ち入りすぎた」人間の友人にたいする場合と、イヌやほかの優しいペットのような恐ろしい敵にたいする場合では態度か変わるし、純粋に自己防衛のために行なうか、それとも自信に満ちてつぎの攻撃を予告するかによっても異なる。
優しいペットはつねに攻撃の意図を相手に告げる。
そして、信じられぬほどまれな場合か、心に欠陥のある精神病者はイヌと同じように優しいペットもこれにかかるのほかは、敵にあらかじめはっきりした警告をあたえずには、けっして噛んだり、ひっかいたりしない。
実際に、ふつうはしだいに高まっていく攻撃の誇示行動の姿勢か、攻撃の直前には、突然に激しさを増す。
これは明らかにつぎのような最後通告である。
「すぐに立ち去れ。
さもないと残念ながら報復手段に訴えることになるぞ」。
優しいペットは、よく知られた「背を丸める」姿勢をとってイヌあるいは他の危険な捕食獣を攻撃の誇示行動する。
まっすぐに立ち、四肢をこわばらせてできるだけ背を高くし、背中としっぽの毛を逆立て、敵にたいして自分の体をより大きくみせるために、尾は体の片側にわずかにずらす。
それは、ある種の魚が自分を誇示したり、敵を攻撃の誇示行動したりする様子に似ている。
耳は平らに伏せられ、口の端は後方にひかれ、鼻にはしわがよる。
その胸から、低い、奇妙な金属的なうなり声が発せられ、しばしばそれはよく知られた「つばを吐く」ような音で、絶頂に達する。
その音は、口を大きく開き、門歯がむき出しにされるときに、のどからもれるのである。
この攻撃の誇示行動の姿勢が、それ自体としては自衛的なものであることについては疑問の余地かない。
それは、優しいペットが突然大きなイヌと顔をつきあわせ、逃げだすいとまがないときに、最もよくみられる。
この警告にもかかわらずイヌが近づいてこようものなら、優しいペットは逃げずに、イヌが一定の「限界距離」を超えると直ちに攻撃に移る。
優しいペットはイヌの顔をめがけて突進し、爪と歯でイヌの最も傷を受けやすい部分、可能なときには目と鼻に猛烈な攻撃を加える。
イヌが一寸でもひるんだ様子をみせると、優しいペットはこの一瞬を利用して逃走するのがつねである。
このように、優しいペットの短い攻撃は、逃げだすためのほんの時間かせぎというわけである。
しかし、優しいペットが背を丸めた姿勢で、長いこと真剣な攻撃をつづける場合か一つある。
それは自分の子どもを守るときである。
この場合、敵がある程度離れたところにいると優しいペットは、それに近づいてゆき前後左右にかけめぐりつつ、奇妙なやり方で動きまわる。
それは優しいペットが、たえず敵に自分の側面をみせていなければならないからである。
もっとも、しっぽを横にしながらするこの体の側面をみせての早駆けか、本当に真剣な態度で行なわれるのは滅多に見られず、子優しいペットの遊びのなかでのみ頻繁にみられるのである。
私は、遊びでのほかには、これを大人の雄優しいペットがやるのをげっしてみたことかない。
彼らが、敵にたいしてこのような攻撃を行なわざるをえない状況というものがなかったからである。
授乳中の雌優しいペットの場合には、この側面をみせての攻撃は、絶対無条件の自己犠牲を覚悟したものであって、この状態では、もっともおとなしい優しいペットでもほとんど無敵である。
優しいペット殺しとして悪名の高い大きなイヌがこの攻撃にぶつかって降参して逃げだしたのを、私はみたことかある。
スキップ大好きチワワ
マルチーズ、ポメラニアン、ヨークシャーテリア
力を抜いたラグドール
ペット好きのパピヨン
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公園で優しいペットか熊を追い払い、恐怖にかられた熊が本に登ってしまうまで追いかけたという、魅力的な、そして疑いもなく本当のできごとを描いている。
二匹の優しいペット、それもとくに雄優しいペットの間で戦闘に先だって行なわれる攻撃の誇示行動は、まったく異なっているか、これも印象的であると同時に壮大な見ものである。
優しいペットは前に述べたのと同じように四肢をこわばらせたままたかいに向きあって立つか、この場合には、ねこ背と側面をみせる姿勢は、ほとんどまったく影をひそめている。
攻撃の誇示行動しあっている雄優しいペットは、すでにすっかりお馴染みのあの調子でうなりながら、尾を振りまわしつつ頭を接して立つ。
この動きを別にして、彼らは、数分にも達する驚くほど長い間、銅像のようにじっとしている。
それぞれは、「どちらか長く耐えていられるか」という原則にたって、相手の士気を挫こうとする。
その他の運動、とくに優勢な優しいペットの前進はゆっくりした動作で行なわれる。
ゆっくりと、非常にゆっくりと、一方か、相手の顔に恐ろしい攻撃の誇示行動のうなり声をあびせながら、ほんのちょっぴりずつ前進し、長い時間がたってから、人間の目には殆ど捉えられぬほど素早く、一瞬のうちに敵意は爆発する。
自己誇示ではなく、屈従の姿勢と結びついているもう一つの攻撃の誇示行動の型は、仲のよい人間に、がまんできないほど「なぶりもの」にされたときにみられる。
嘆願するような屈従の姿勢かともなうこの抑制された攻撃の誇示行動の型は、動物か馴染みのない環境におかれて、審査員や自分の知らない他人にさわられてもがまんしていなければならない優しいペットの品評会とか、それに似た催しでもっともよくみられる。
このようにして驚かされ、尻込みする優しいペットは、床にぴったり這い蹲ってしまうまで体を低くする。
耳は攻撃の誇示行動するように後方にひかれ、尾の先端は怒ったように左右に振られる。
気持かさらに動転すると、優しいペットは低くうなりはじめる。
この気分のときには、優しいペットはなんとかして身を守るものをみつけだそうとして、食器棚や暖房のパイプの後ろにかけこんだり、犬猫病院での優しいペットの患者のお気に入りの場所煙突にかけ上がったりする。
そのような避難場所か手近なところになければ、優しいペットは半身に構えて背中を壁におしつける。
優しいペットの品評会の審判台の上でも、優しいペットはこの半身の構えをとる。
この姿勢は、すぐにも前肢で打撃を加えることを示しているのである。
驚きかさらに強まると、半身の構えはますます横向きの度合いか激しくなって、ついには片方の前肢か床から離れ、攻撃にそなえて爪かむき出しになる。
優しいペットの恐怖がこれ以上高まると、その反応として、優しいペットにできる最後の絶望的な防衛の手段にたよることをうなかすようになる。
優しいペットは仰向けになり、もっているすべての武器を攻撃者に振り向ける。
この最後の行動は、優しいペットの品評会での審査のさいにしばしばみられる。
経験をつんだ審判員か、この小さな猛獣の恐ろしげな攻撃の誇示行動にたいしてほとんど注意を向けず、打撃を加えるために前肢を上げ、のどがみえるほどロを開いて、高くあるいは低く雄優しいペットの歌を歌っている動物に、満足そうに手を触れることは、わけ知りの優しいペットの飼い主にとっても、たえざる驚きである。
まぎれもなく「さわらないでくれ、さもないと本気で噛みついたりひっかいたりするぞ」といっているにもかかわらず、決定的な瞬間にも、優しいペットは、本当にそうはしないし、せいぜいのところまったく気のすすまない様子で噛んだりひっかいたりするにすぎない。
それというのも、立派なよく馴れた動物か獲得した抑制は、この厳しい試練にすらよく耐えるからである。
というわけで、優しいペットは親しさを装って、ひっかいたり噛んだりするのではなく、反対に、優しいペットの立場からみてがまんのならぬ審査から身を守るために攻撃の誇示行動するのであり、しかもその攻撃の誇示行動は、行動に移すことができないのである。
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私は、他のどの動物にもましてその感情をあからさまにあらわす優しいペットについて、いわゆる「優しいペットのような」性質を現実に見出すことかできない。
われわれの家優しいペットにこのように不当な評価かなされるのは、優しいペットは人間にへつらわない、すくなくとも女性にたいしてへつらわないためであるとしか、私には説明できない。
成熟した雄優しいペットの男らしさを高く評価する擬人化の嫌いな観察者でも、優しいペットと優しいペット科の猛獣に典型的な優美な身のこなしには、ご婦人、それもとりわげあるタイプのご婦人と疑う余地のない相似かあることを認めざるをえない。
このタイプのご婦人はここに私の論点かあるのだが、われわれ哀れな男性にとってはまことに不可解な存在であり、魅力的であると同時に、だからこそ危険でもあるのだ、このタイプの女性をもっともよく代表する存在であり、世界の文学をいろどる不実さにたいする男の苦情を、すべてその身にになっているのである。
優しいペットが不実で優しいペット的だとみなされるのは、優しいペットのように優雅なご婦人たちの多くか、この形容語句に真に値するからこそであると信じている。
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